昭和54年4月に戸坂城山小学校と校名が変更になったため、中央下段「戸坂新」の文字を除いて、引き続き 校章として使用することを決定する。
昭和54年5月28日
校章の発想について
                          寄重 弘光
 新生、戸坂新町小学校の顔、校章は、学区の特色を生かし未来に羽ばたく校章でなければならないと思いました。形を創るにあたり、戸坂小からの分離の意味からその校章の槇の葉を変形し、山塊にのせる工夫をしました。東に東浄、西に城山の山々、北に安佐の山なみ、それらに囲まれた平地部と、向原線、戸坂中山線の道、太田川、戸坂川のT字形の交わりを線としてとらえ構想をすすめ、3つの山と道と川とを線で結ぶ構成を試みました。広島市章を、という要望もありデルタを流れる川の形で入れてみました。
 上空、千米から見た地形は発展していく戸坂地区の姿であり、それを縮図にして、文化の中心である学校。地域を発展させる若い力そして、戸坂新町小の校章があるという、ダブルイメージを待たせたかったのです。

昭和49年5月1日校章制定
デザインは、本校教諭